小樽市の梁川通り:若鶏時代なると本店などがある通り

小樽市梁川通り [小樽] 南小樽・中央地区

小樽市にある梁川通りを紹介しています。

梁川(やながわ)通りは小樽駅から近く、古くから賑わってきました。観光客にも人気の若鶏時代なると本店さんなどが並ぶ通りです。

本記事ではYouTubeで公開している動画【小樽市梁川通りをさんぽ】の中で伝えきれなかったことなどを書いています。

YouTubeでは日没後の梁川通りを歩いています。ブログ内の画像は昼間に撮影した梁川通りでの写真を使っています。

小樽市の梁川通りの所在

梁川通りは一般的な認識では(Google Mapもそうなんだけど)小樽駅前通りの中央通りから北側の臨港線(厳密には道道820号小樽港稲穂線です)までの通りです。

しかし、梁川商店街振興組合さんの公式ガイドブックによりますと、梁川商店街としては中央通りから龍宮通りとの間だけを梁川通りと呼ぶそうです。

梁川通りの南(中央通り)側はアーケードのある都通り商店街の反対、中央通りを挟んだ向かえ側から始まります。

梁川通りの街灯はスズラン型

梁川通りに有るスズラン型の街灯

梁川通りの街灯は5つの水銀灯が連なるスズラン型です。ひとつの街灯に水銀灯が5つもあるので夜に歩くとほかの通りよりも明るく、一発で梁川通りとわかります。

先程書いた、梁川商店街が呼ぶ梁川通りは中央通りと龍宮通りとの間なのですが、このスズラン型の街灯は中央通りと龍宮通りとの間にしかありません。

本記事では、梁川商店街さんの呼ぶ梁川通りの範囲を尊重しつつ、龍宮通りと臨港線との間の様子も紹介しています。ご理解くださいませ。

梁川通りの名称の由来

夕暮れの梁川通り

梁川(やながわ)通りの名は戊辰戦争で旧幕府軍を率いた榎本武揚さんの雅号である「梁川(りょうせん)」を訓読みにしたもののようです。

雅号(がごう)とは・・・
文筆家・画家・学者などが、本名以外につける風雅な名。森鴎外の「鴎外」など。(goo辞書より)

なぜ榎本武揚さんなのか?

榎本さんが稲穂町一帯の土地を所有した大地主だったからだそうです。

なぜ榎本さんが大地主だったか?というと、明治5(1872)年、開拓使だった榎本さんと北垣国道さんが揃って、小樽の官有地を払い下げによって現在の稲穂町とその山側の土地を購入しからだそうです。

購入当時は大部分が未開の地。そんな未開の地を20万坪も購入したそうです。20万坪は札幌ドームだと約12個分、東京ドームだと約14個分。

「梁川通り」という名がついた・生まれた時期は定かになっていないようですが、梁川通り一帯の整地が進められた明治20年代後半から明治30年前後ではないか?と言われています。

榎本さんと北垣さんはその後、購入した土地の管理をするための会社「北辰社」を設けます。北辰社3代目管理人の寺田省帰(せいき)さんの手腕により、この土地は小樽の中心街へと大化けしていくことになります。

梁川商店街振興組合公式ガイドブックではより詳しい梁川通りの歴史が書かれておりますので、ご興味ある方はご覧くださいませ。梁川商店街のガイドブック

梁川通りにあるお店などの紹介

梁川通りにあるお店などを紹介します。内容は梁川商店街振興組合公式ガイドブックなどを参考にして書いています。

東香楼さん・斎藤商店さん

街中華の東香楼さん、店主さんは、花園にあった真寿(平成17(2005)年に閉店)という中華店に勤めていた経験をお持ち。長橋に東香楼を開店し、平成12(2000)年に梁川通りに移転したそうです。

2023年11月ころから臨時休業されている様子で、2024年2月28日時点で再開されているかは不明です。

となりの斉藤商店さんは八百屋さんで、とうきびの時期なんかはゆでとうきびを店頭販売していたと記憶しています。

東香楼さんが梁川通りに移転する前、この場所にはパピットハウスという軽食・ゲームセンターのお店がありました。10円で遊べるゲームがあったり、からしマヨネーズをかけたたこ焼きが美味しく、私が高校生の時は友達と学校帰りのよく寄っていたのが良い思い出です。

そば処やま安さん

高級志向ではない街の蕎麦屋さん。

地元の人が通うお店でお昼時は常連さんが多そうです。お店は決して広いわけではないので混雑時は相席になったりします。

もりそばしか殆ど食べない私にとっては、夏場など近くにいたらついつい寄ってしまう蕎麦屋さん。大もりそばで550円とかです。(2023年12月時点)

小樽グランドパレス

1階がテナントで2階から上階は賃貸物件の建物で2024年現在、1階テナントにはデイサービスや居酒屋が入っています。

この建物が建った直後(1990年頃)にはFree Wayというゲームセンターが入っていました。2010年頃に閉店したようです。

小樽中央市場・小樽中央卸市場

梁川通りを横切る形で並んでいるのが中央市場です。

中央市場は3棟あり、浜側から1号棟・2号棟・3号棟とあり梁川通りは中央市場の2号棟と3号棟の間を通っています。

中央市場沿いの通りを山側へ進み、国道5号線を越えると船見坂があります。

国道5号線に面しているのが小樽中央市場、老朽化のため2024年3月末で閉鎖され、取り壊される見通しです。

取り壊し予定はこの小樽中央市場のみで中央市場の3棟は関係ありません。ややこやしいのですが中央卸市場と中央市場は別物です。

柳川湯さん

大正11(1922)年創業の柳川湯さん。現在も営業している老舗の銭湯です。

麻雀プロの土田浩翔さんが学生の頃通っていたそうです、ご自身のYoutubeチャンネルのショート動画で発言しております。

若鶏時代なると本店さん

半身揚げが有名な若鶏時代なると本店さん。テレビやYouTubeなどにも取り上げられていて観光客にも人気です。

小樽市民みんながなるとさんの半身揚げを食べているみたいな伝わり方もしているようですが、私は半身揚げを食べたことがないです。そして、若鶏時代なると本店さんにも入ったことがないです。

暖簾分けした小樽なると屋さんには行ってますが、半身揚げよりもざんぎ定食とかチキンメンチカツ定食などを頼んでしまいます。

ざんぎはデカくそして揚げたてが食べれるので、なるとさんのザンギを食べるたびに、その熱さで口の中の上の部分がぺろりとなってしまいます。

なるとさんを過ぎて間もなく龍宮通りと交差します。国道5号線を越えたところに龍宮神社があります。

梁川商店街さんの呼ぶ梁川通りはここまでです。

友和のパンさん

龍宮通りを越えてすぐにあるのが、友和(ゆうわ)のパンさん。

昭和20年代に創業らしく、お店入口上にあるお店の文字が創業当時からのものなのか不明ですが、一部が落ちています。調理パンがメインで置かれている様子です。

ジーンズショップLOKKIさん

ルーツは進駐軍の払い下げ物資を扱っていたというお店LOKKIさん。LOKKIはフィンランド語で「カモメ」という意味らしいです。

旧渡邊酒造店

歴史的建造物の旧渡邊酒造店さん。昭和5(1930)年に建てられたそうです。建物の前には小樽市指定歴史的建造物の看板が置かれています。

梁川通りの角地に建ち、この地区のランドマークとなっています。
建物の外壁に褐色のタイルを張り、軒先には雷文や卵と槍の模様をつけ、2階窓上には酒樽の看板を掲げています。
店内には、天井に模様を型押しした金属板を張り、壁に鏡を飾るなど、昭和初期のモダンなデザインを伝えています。
同時期に建てられた田中酒造店は、木造建築で町屋形式の外観をもち、対照的な形態といえます。

小樽市ホームページ「小樽市指定歴史的建造物 第37号 旧渡邊酒造店」より引用

都(みやこ)会館

大正12(1923)年に火災予防組合の番屋として建てられ、その後町内会館となったのが都会館、かつて、この通りが都通りと呼ばれていたことの名残りで名称に「都」が使われているそうです。

龍鳳さん

あんかけ焼きそばの1人前が麺2玉の龍鳳さん。

以前から小樽ではあんかけ焼きそばを町おこしに盛り上げていますが、そんななか2024年2月に放送されたテレビ番組「マツコの知らない世界」で龍鳳さんの店主さんが出演されていました。

タイトルとURLをコピーしました