三本木急坂:メルヘン交差点につながる坂道【北海道小樽市】

三本木急坂 [小樽] 南小樽・中央地区

小樽堺町通り商店街の南端のメルヘン交差点にあるオルゴール堂の横を上る「三本木急坂」と呼ばれる坂道。

JR南小樽駅から堺町通り商店街へ向かうときなど、この三本木急坂を通る観光客も少なくはありません。

「急坂」と名が付いておりますが、勾配は8%と小樽市内の坂道のなかでは決しては急な坂ではありません。しかし、明治の時代には雪が積もると上れなくなるような急坂だったそうです。

三本木急坂のマップ

JR南小樽駅から堺町通りへ向かう、または堺町通りからJR南小樽へ向かう観光客の人たちが三本木急坂を歩いているのをよく見かけます。

ただ、このルートを利用するのは日本人観光客ではなく、外国人観光客(おそらく韓国のかた)が多いです。

三本木急坂の歴史

明治の頃に三本木急坂は2回の道路の切り下げがありました。それぞれ2メートルの切り下げだったようです。

坂道の頂上が現在よりも4メートル高い位置だとすると、かなりの勾配になると想像できます。

そこで、気になるのが坂道周辺の地形です。三本木急坂の切り下げの際に周辺の家屋も建て替えなどしょうか?小樽市公式サイト内になる「おたる坂まち散歩」で三本木急坂ついて以下のように紹介されています。

小樽郡役所では、2回にわたり道路を2メートルずつ切り下げました。1回目は明治15(1882)年で、左右の家が道路よりも高くなったため、住民は自費で家屋を切り下げました。2回目は明治18年、入船の大火の後でした。住民は焼け跡に家を新築しましたが、郡役所に今後の切り下げ計画が無いことを確認したにもかかわらず、2回目が行われたため、住民は再度の切り下げを余儀なくされ、大変怒ったそうです。

おたる坂まち散歩 今や急ではない三本木急坂

「家屋を切り下げ」とは建て替えのことを指しているのでしょうか?ちょっと分かりませんね。

三本木急坂の様子

メルヘン交差点からの三本木急坂

メルヘン交差点にあるオルゴール堂の横を上がっている坂道が三本木急坂です。

三本木急坂の頂上

三本木急坂の頂上は住吉線(住吉神社前の通り)のJR南小樽駅から浜側にすすんだところにある交差点になります。この交差点には、三本木急坂のほかに「赤坂」と「山ノ上の坂」の2つの坂道もあります。

写真に載っているタイプの案内板は小樽市内の観光名称付近に立っていたりするのですが、こちらの案内板では「三本木坂」なんですね。

赤坂

赤坂

「赤坂」と呼ばれている坂道。三本木急坂よりもこちらの坂のほうが急。

JR南小樽駅で下車した外国人観光客が堺町通りへ行く途中に、ここからの景色を眺めたり写真を取ったりしているのを見かけます。

日本人の観光客はその光景をみて「えっ!なにかあるの!?」みたいな感じで通り過ぎていたりして、お国柄が出て興味深かったりします。

山の上の坂

山の上の坂

「山の上の坂」と呼ばれている坂。坂道を下りたところにラーメン屋の初代さんがあります。また、坂を下り合流する臨港線を進んでいくと田中酒造さんの亀甲蔵もあります。

こちらの坂の勾配は10%です。

道路標識の勾配◯★%は・・・水平に100メートル進んだときに◯★メートルの高さを上ることを意味していまして、例えば、勾配10%の坂道なら100メートル進んだときに高さ10メートルの地点にいるということになります。

猪股邸

小樽市指定歴史的建造物の猪股邸

明治39(1906)年に建てられた邸宅。現在も住居として使われているので立ち入ることはできません。

平成3(1991)年に小樽市指定歴史的建造物に指定されていて、個人宅なのに門の横には小樽市指定歴史的建造物の案内板が立っていたりします。

海陽亭(旧魁陽亭)

歴史的建造物の海陽亭(旧魁陽亭)

明治初期から続いていた老舗料亭。「魁陽亭」「開陽亭」「海陽亭」と3度名前を変えているそうで、平成27(2015)年に閉店。2024年10月末現在は敷地入口にチェーンが張られていて中には入れない様子です。

明治39(1906)年の日露戦争後の樺太国境画定会議のあとの宴会がここで開かれたりなど、政財界など多くの著名人が訪れていたそうです。

現在の建物は明治29(1896)年の住ノ江大火の際に再建されたと推定されています。昭和60(1985)年に小樽市指定歴史的建造物に指定されています。

タイトルとURLをコピーしました