小樽公園(花園公園)【北海道小樽市】

小樽公園入口 [小樽] 南小樽・中央地区

小樽公園は北海道小樽市内中心部にある公園です。

小樽公園の面積は23.5ヘクタールあり、緑豊かな公園内には小樽市民会館や総合体育館、野球場などの施設のほかに、こどもが遊べる大型の遊具などもあります。

また、小樽公園は丘の上にある公園なので見晴台からは海まで見渡すことができます。

このページは、Youtubeで公開している動画「小樽公園を散策」の内容のまとめや紹介しきれなかった小樽公園についての情報などを紹介しております。

Youtubeで公開している小樽公園を散策している動画

小樽公園へのアクセス

小樽公園は小樽市中心部にありますが、JR小樽駅からの距離は約1.3kmで道中は上り坂が多いです。

小樽の観光名所が集中している港側ではなく山側にあるので、小樽運河などへ行ったあとに徒歩で行くとなるとかなりの距離を歩くことになります。

小樽運河から小樽公園へ行くにはバスを利用するのがいいと思います。

旧日本銀行小樽支店そばにあるバス停「本局前」から北海道中央バスの[4] 山手線(緑先廻り)に乗り、「市民会館通」下車がいいと思います。

小樽公園内には駐車場があるので車が一番かもしれません。

札幌からの高速バスならバス停「市役所通」が最寄りのバス停です

小樽公園の概要と歴史

小樽公園のマップ

小樽公園の面積は約23.5ヘクタール、園内には市民会館、総合体育館や野球場などがあります。

23.5ヘクタールを日本のドーム球場で例えると…

  • 福岡ドーム約3.4個分
  • 札幌ドーム約4.3個分
  • ナゴヤドーム約4.9個分
  • 東京ドーム約5個分
  • 大阪ドーム約6.9個分

クリ、ナラなどの天然林のほかに、植樹されたツツジやシラカンバ(白樺)が生育し緑豊かな公園でもあります。

小樽公園内の桜は一般的なソメイヨシノやエゾヤマザクラのほかに、いろんな品種の桜が植樹されているそうです。

顕誠塔のさくら

小樽公園は丘(櫛形山と呼ばれていたらしい)の上にあるので、公園内の見晴台からみる小樽市の景色は海・港まで一望することができます。

動画のオープニングの道路(公園通り)をまっすぐ進んでいくと小樽水天宮へと続いていき、景観の統合が図られています。

小樽公園の歴史

明治33年(1900年)に「花園公園」として開設しましたが、現在のような設計がされている公園ではありませんでした。

明治43年(1910年)皇太子・嘉仁親王のちの大正天皇が翌年の明治44年に北海道を行啓されることになりました。

小樽行啓の際の宿泊施設を公園内に建設する計画が上がり、この機会を利用して、公園全体の設計もされたようです。

小樽公園の設計をしたのは、そのときすでに全国的に著名だった造園設計家の長岡安平氏。北海道では札幌の中島公園や円山公園の設計にも携わったようです。

長岡氏の手描きの花園公園設計図は幅3.2メートル、長さ2メートルあり、小樽市総合博物館に保管されているそうですが、展示はしていないようです。

大正4年(1915年)「小樽公園」に改称されました。

小樽公園の住所が小樽市花園ということや、国道5号線側の最寄りのバス停が「花園公園通」ということもあって「花園公園」呼ぶ人もいます。

小樽公園内の施設

小樽公園内にはこども用の遊具から野球場や総合体育館などいろいろな施設もあります。

小樽市民会館

小樽市民会館

市民会館が建つ以前、この場所には小樽市公会堂(旧小樽区公会堂)が建っていました。

昭和35年(1960年)に小樽市公会堂が現在地に移築され、その後、昭和38年(1963年)に市民会館が開館されました。

小樽市公会堂・能楽堂

小樽市公会堂

明治44年(1911年)に皇太子・嘉仁親王のちの大正天皇の北海道行啓の際のご宿泊所として建築されました。

現在の小樽市民会館の位置に建てられ、資金は海運商だった藤山要吉氏が出し、施工は加藤忠五郎氏が行いました。

昭和35年(1960年)に現在地へ移築され、その際に岡崎家から能舞台も移築されました。

皇太子の行啓のためだけに一個人がご宿泊所を建て、行啓後に小樽市(当時は小樽区)に建物を寄贈したって豪快なはなしです。

小樽市総合体育館

小樽市総合体育館

昭和49年(1974年)に開館。

体育館内はアリーナのほかに第一から第四まで体育室があります。

体育館正面のグランドには照明もついています。

小樽桜ケ丘球場

小樽桜ケ丘球場

昭和23年(1948年)に開設。

高校野球の後志地区予選などが行われています。昔はプロ野球の2軍戦、特に巨人戦が行われたりもしていました。

中学生の時に桜ケ丘球場で最初で最後の野球の試合ができたのは良い思い出

顕誠塔

顕誠塔

日露戦争での戦没者の慰霊のために、昭忠碑として大正12年(1923年)に建立されました。

第二次大戦終戦後、戦前の軍事色を払拭するため顕誠塔と改称し、市に貢献のあった人々を合祀する事になりました。

昭忠碑の正面には兵士像が置かれていたそうですが、顕誠塔と改称された時にその兵士像が撤去されたみたいです。

毎年5月に合祀者を慰霊する招魂祭が行われます。招魂祭は小樽で一番早く開催されるお祭りで、招魂祭のあと小樽市内の神社例大祭が始まります。

こどもの国

こどもの国のトーテムポール

昭和45年(1970年)に開園、平成18年(2006年)に閉園。現在はこどもの国ゾーンとして開放されています。

写真のトーテムポールは自分が幼児期だった1970年代後半にはあったと記憶しています。

また、その当時のこどもの国は遊園地兼小動物園のような形態で、遊園地は観覧車やゴーカート、コーヒーカップなんかがありました。

自分は記憶していませんが、ほかにままごとの家といったものもあったようです。

小動物園は入り口付近にヤギが放し飼いにされていたことと猛禽類の檻しか記憶がありません。ほかにも動物は居たと思います。

現在のこどもの国ゾーンはこのような大型の遊具や迷路などがあります。

こどもの国ゾーンの大型遊具其の壱
こどもの国ゾーンの遊具其の弐

弓道場

小樽市弓道場

昭和16年(1941年)に開設。

小樽市民会館の道路を挟んだ斜め向かいにあり、となりには小樽簡易裁判所があります。

昔はアーチェリーもやっていたと思いますが、現在は弓道のみのようです。

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