潮騒と石造りの記憶。小樽「北のウォール街」で辿る、商都の栄華と再生の物語

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坂の街、小樽。石狩湾を望むこの街を歩けば、どこからか潮の香りが漂ってきます。観光客で賑わう小樽運河からわずかに山側へ足を向けると、そこにはかつて「北のウォール街」と称えられた壮麗な街並みが今も息づいています。

私がこの街の風景の中で最も惹かれるのは、これら歴史的建造物が単なる遺物ではなく、現代の息吹を吹き込まれ、人々の暮らしの中に溶け込んでいる姿です。明治から大正、そして昭和初期にかけて、この一帯は北海道経済の「心臓」として脈動していました。

今回は、かつて25もの銀行が軒を連ねたこのエリアの歴史を紐解きながら、大人の知的好奇心を満たす散策のヒントをご提案します。

1.北海道の「心臓」はいかにして創られたか

小樽が「北のウォール街」と呼ばれるほどの発展を遂げた背景には、国策としての北海道開拓がありました。明治維新後、政府は日本の近代化に不可欠なエネルギー源として、道内内陸部の「石炭」に着目します。この石炭を本州へ送り出す積出港として選ばれたのが、小樽でした。

明治15(1882)年には、小樽(手宮)と幌内を結ぶ北海道初の鉄道が開通します。港と鉄道という「物流の大動脈」を手に入れた小樽には、全国から人、物、資本が押し寄せ、まさにゴールドラッシュのような活気に包まれました。

莫大な富がこの街に集まり、ニシン漁や雑穀貿易、海運業で財を成した豪商たちが闊歩するようになります。彼らの膨大な商取引を支えるため、日本銀行をはじめとする大手銀行や地元の銀行が次々と進出し、色内地区には北日本随一の金融街が形成されたのです。

「北のウォール街」を彩った一流の建築家たち

この街の魅力は、当時の日本を代表する一流建築家たちが、最先端の技術と美学を競い合った点にあります。半径500メートルという狭い範囲に、明治・大正・昭和の各時代を象徴する銀行建築がこれほど密集して現存する場所は、日本国内でも他に例を見ません。

その筆頭が、東京駅の設計で知られる辰野金吾です。彼が手がけた「日本銀行旧小樽支店(1912年竣工)」は、当時の最先端材料である鉄骨やコンクリートを導入した明治銀行建築の集大成ともいえる名作です。外壁はモルタル塗りながら、石造を模した重厚な佇まいは、まさに経済都市・小樽の象徴といえるでしょう。

2.「北のウォール街」の核心部。エリアを画定する「3つの軸」

かつて25もの銀行が軒を連ねたこのエリアは、主に小樽市色内(いろない)1丁目から2丁目にかけての非常にコンパクトな範囲に凝縮されています。

初めて訪れる方が迷わないために、エリアを構成する「3つの軸」で捉えると分かりやすくなります。

① 中心点:日銀通り(旧・浅草通り)

エリアの背骨となるのが、小樽駅から運河(浅草橋)へと続く「日銀通り」です。その名の通り、日本銀行旧小樽支店を筆頭に、三井、三菱といった名門銀行がこの通り沿いに集結していました。

② 横軸:色内大通り(本通)

日銀通りと交差する「色内大通り」は、明治期から小樽随一の商業中心地でした。海産物や雑穀、石炭を扱う豪商たちの問屋や商社、そしてそれらを支える地方銀行の支店が数多く立ち並んでいた通りです。

③ エリアの境界:運河と旧手宮線に挟まれた空間

物理的な範囲でいえば、海側の「小樽運河(臨港線)」と、山側の「旧手宮線(鉄道跡)」に挟まれた、南北約1キロ、東西数百メートルの区画が「北のウォール街」の主要部分にあたります。

この「半径500メートル」という狭い範囲に、これほど多くの近代建築が密集して現存する場所は、日本国内でも他に例を見ません。

3.繁栄の記憶を今に伝える、名建築の数々

色内銀行街を歩くと、各時代の建築様式の変遷が手に取るようにわかります。それは、まさに「近代建築史の縮図」と呼ぶにふさわしい光景です。

旧三井銀行小樽支店(重要文化財)

昭和2(1927)年に竣工したこの建物は、ルネサンス様式の外観と、内部の吹き抜け回廊、美しい石膏天井が圧巻です。大正12年の関東大震災を教訓に、小樽で最初期に鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC構造)が採用された、防火・耐震に優れた建物でもあります。現在は「小樽芸術村」の一部として公開されており、当時のままの大金庫室などを目にすることができます。

旧北海道拓殖銀行小樽支店(似鳥美術館)

小樽経済の絶頂期、大正12(1923)年に建てられたこの銀行は、作家・小林多喜二が勤務していたことでも知られています。6本の古典的円柱が支える吹き抜けの営業室は、当時の圧倒的な経済力を物語る空間です。現在は似鳥美術館として、その重厚な空気の中で名画や工芸品を鑑賞できます。

旧三菱銀行小樽支店(小樽運河ターミナル)

ギリシャ・ローマ建築を思わせる6本の半円柱が特徴的な、大正11(1922)年築のビルです。現在は商業施設「小樽運河ターミナル」として再生されており、歴史的な空間の中で地元の食や買い物を楽しむことができます。

4.「斜陽」から「再生」へ。市民が守った街の記憶

しかし、栄華を極めた小樽にも、時代の荒波が押し寄せました。昭和30年代、エネルギー政策が石炭から石油へと転換されると、小樽港の物流拠点としての地位は低下します。商業・金融機能が札幌へ移転し始め、かつての活気を失った小樽は「斜陽のまち」と呼ばれるようになりました。

役目を終えた小樽運河は荒廃し、ヘドロが溜まって異臭を放つようになります。昭和41(1966)年、市は交通渋滞解消のために運河を埋め立て、道路を建設する計画を決定しました。

この計画に対し、立ち上がったのは小樽の市民たちでした。「まちの記憶」を守り、歴史を活かす新たなまちづくりを目指した「運河保存運動」は、10年以上に及ぶ対立と議論を経て、日本中に波及する大きなうねりとなりました。結果として、運河は半分が道路となり、半分が水路として残される形となりましたが、この運動こそが現在の観光都市・小樽の礎となったのです。

現在、私たちが目にしている情緒ある街並みは、歴史の価値を再認識した「民の力」によって守られた賜物です。

5.歴史の余韻に浸る、おすすめの滞在提案

「北のウォール街」を歩くなら、ただ建物を眺めるだけでなく、その歴史を「体感」できるスポットにぜひ足を運んでみてください。ここでは、大人の散策におすすめの場所をいくつかご紹介します。

歴史を「味わう」:小樽バイン(旧北海道銀行本店)

明治45(1912)年に建てられた旧北海道銀行本店の建物は、現在、ワインカフェレストランとして活用されています。ルネサンス様式の石造りの空間で、北海道産のワインと共に地産地消の料理をいただく時間は、格別なひとときです。

歴史に「泊まる」:UNWIND HOTEL & BAR 小樽(旧越中屋ホテル)

昭和6(1931)年、外国人専用ホテルとして建てられた旧越中屋ホテルが、当時の情緒をそのままにリノベーションされています。ステンドグラスを配したクラシックな雰囲気の中で、時を超えた旅の夜を過ごしてみてはいかがでしょうか。

歴史を「知る」:小樽市総合博物館 運河館(旧小樽倉庫)

北前船主によって建てられた、鯱がシンボルの大規模な石造倉庫です。小樽の歴史や自然環境を学ぶことができ、当時の物流の規模を実感することができます。

まとめに代えて

かつて小林多喜二は、小樽を「時代的などんな波の一つも、この街全体が恰か一つの一つの大きなリトマス試験紙ででもあるかのように、何等かの反応を示さずに素通りするということはない」と綴りました。

「北のウォール街」の重厚な石壁に触れるとき、そこには日本の近代化を牽引した誇りと、衰退を乗り越えて再生を願った市民の想いが、層となって積み重なっているのを感じます。効率や速さが優先される現代において、あえて時間を止めたかのようなこの街を歩くことは、私たちに「豊かさとは何か」を問いかけているようでもあります。

ガス灯の灯りが石畳に落ち始める夕暮れ時、ぜひご自身のペースで、この街が紡いできた物語の続きを探しに歩いてみてください。一歩踏み入れるたびに、かつての栄華が、潮風に乗って静かに語りかけてくるはずです。

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